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東京高等裁判所 平成11年(ネ)738号 判決 2000年8月28日

控訴人 A野花子

右訴訟代理人弁護士 志村新

同 滝沢香

同 小林譲二

同 堤浩一郎

被控訴人 東日本旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役 大塚陸毅

右訴訟代理人支配人 須田征男

右訴訟代理人弁護士 橋本勇

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、金八六〇万円及びこれに対する平成六年一〇月二一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件事案の概要は、次のとおり補正し、かつ、後記二のとおり追加するほかは、原判決の「事実及び理由」中「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決五頁四行目の「配転され」の次に「(以下、この配転を「本件配転」という。)」を加え、五行目の「出向している。」を「出向し(以下、この出向を「本件出向」という。なお、平成一〇年七月一五日から、同弘済会東京福祉所勤務を命ぜられた。)、平成一二年一月末日、被控訴人を定年退職した。」に改め、同行目の次に行を改めて次のように加える。

「なお、本件配転について、控訴人の所属する国鉄労働組合東京地方本部、同本部中央支部及び同支部東京総合病院分会は、その配転命令が不当労働行為に当たるとして、東京地方労働委員会に対し、被控訴人を被申立人として救済の申立てをし、都労委平成元年不第六六号事件として係属した。」

2  原判決八頁五行目の「同月九日付」の次に「。以下「本件診断書」という。」を、九行目の「欠勤し」の次に「(以下、この病気欠勤を「本件病休」という。)」をそれぞれ加える。

3  原判決九頁一行目の次に行を改めて次のように加える。

「また、控訴人は、平成一〇年一一月一八日、渋谷労働基準監督署長から、後遺障害等級一二級一二号に該当するとして、障害補償一時金一七六万三五八〇円、障害特別支給金二〇万円、障害特別一時金三五万二八七二円の支給決定を受けた。」

4  原判決九頁四行目の「乙第五号証」を「第五一号証、乙第四号証の一、第五号証、第二三号証」に改める。

5  原判決一七頁六行目及び同三〇頁二行目の各「同月二二日」をいずれも「同月二一日」に改める。

二  控訴人が当審において追加補充した主張

1  頸肩腕症候群の診断と業務起因性についての判断の基準

(一) 狭義の頸肩腕症候群(職業性頸肩腕障害)とは、「その症状の原因が、変形性頸椎症等の原因、病態が明らかなものを除き、上肢の過使用、すなわち上肢を同一位に保持又は反復使用する作業により神経、筋疲労が慢性化した状態となったものをいい、その病像形成に精神的因子及び環境的因子の関与を無視することができないもの」である。

その症状には、他覚的所見として筋硬、圧痛が広範囲に存在すること、慢性化・長期化・難治化する傾向があることの二つの特徴がある。

(二) 変形性頸椎症等の器質的疾患の存在と職業性頸肩腕障害との鑑別診断に当たっては、次の点に留意する必要がある。

(1) 頸部、肩、項部、上肢等の凝り、痛み等の症状が変形性頸椎症等の器質的疾患によって発生していることが明らかな場合は、その疾患名が診断名であり、職業性頸肩腕障害と診断することはできない。

(2) 画像診断上退行変性、器質的病変等の異常所見が見られても、それが痛み等の症状を伴わない場合もあるから、当該症状の原因が直ちに器質的病変であると診断することはできない。

(3) 器質的疾患が治癒、軽快した状態と考えられるにもかかわらず痛みが慢性化している場合は、その原因を器質的疾患とすることはできない。

(4) 右(2)(3)の場合は、職業性頸肩腕障害と診断されなければならない。

(5) 職業性頸肩腕障害には、器質的病変が存在するのにそれが痛みの主原因ではなく、職業性慢性疲労が主原因であり、器質的病変が従的に共働する場合もある。

(三) 職業性頸肩腕障害と業務起因性の判断基準は、次のとおりである。

(1) 当該業務の性質・内容、当該疾病の発症及び推移と業務との対応関係等に照らし、当該業務と当該疾病との間に因果関係を是認し得る高度の蓋然性を認めるに足りる事情があり、他に明らかにその原因となった要因が認められないのであれば、経験則上、この間に因果関係を肯定すべきである。

(2) 当該疾病の発症について複数の原因(共働原因)が存在する場合は、当該業務が他の原因に比較して相対的に有力な原因と認められる場合に、当該業務と当該疾病との間に相当因果関係があると認めるのが相当である。

(3) 同種の業務に就いていても、個々人の体力、体格等の耐久力の差異によって当該疾病を発症する場合も発症しない場合もあるから、当該個人にとって適切な業務量を基準として過重な業務であったか否かを判断すべきであり、業務量と当該個人の耐久力のアンバランス、すなわち業務量が当該個人にとって過重であることから頸肩腕症候群及び腰痛症が発症したと認められれば、それをもって相当因果関係があると判断すべきである。

(4) 当該労働者の疾患が長期化したとしても、頸肩腕症候群の患者の中には休業期間が数年に及び、治癒するまでに長期間を要する者もいること、職場復帰により症状が再発したり増悪したりする者もいることから、当該症状が治癒するまでに長期間を要したことをもって業務と疾病との因果関係を否定することはできない。

2  本件配転前の控訴人の症状

控訴人は、身長約一五〇センチメートル、体重約四三キログラムの女性で、本件配転前の健康状態はおおむね良好であった。

もっとも、控訴人は、昭和五六年五月に右肘の痛みを訴えて筋筋膜症候群の診断を受け、昭和六〇年五月に腰痛を訴えて腰痛症の診断を受け、昭和六一年一二月に右肩の痛みを訴えて頸部脊椎症の診断を受け、昭和六三年一〇月に右頸部の痛みを訴えて頸椎椎間板変性症の診断を受けたことがあるが、いずれも一過性の症状であり、短期間のうちに軽快している。

なお、被控訴人は、右既往症を変形性頸椎症であると主張するが、控訴人の本件配転前の視能訓練士としての業務の態様に照らせば、右症状が業務による疲労性の症状であった可能性を否定することができない。

3  本件配転後の控訴人の症状と業務との因果関係

(一) 第一期(本件配転(平成元年四月)から本件診断書の提出(平成二年六月)まで)

(1) 本件配転後に控訴人に出現した症状(以下「本件症状」という。)等は、次のとおりである。

ア 平成元年七月ころ 通勤のショルダーバッグが重く感じられ、肩に鉛を背負っているように感じられるようになった。

イ 同年八月ころ 疲労感が増した。

ウ 同年九月ころ ショルダーバッグを布製の軽量のものに変えたが、弁当が重く感じられ、出勤時には夫に持ってもらうようになった。

このころからマッサージに通うようになった。

エ 同年一一月ころ 肩凝りがひどくなった。

オ 平成二年二月ころ 大腿部がだるく、痺れや痛みを感じ、歩き始め時には左腰にまで痛みを感じるようになった。二日間にわたって首が回らなくなり、左肩に痛みとだるさを感じ、上腕がすぐに疲れるなどの症状を呈するようになった。

カ 同年三月二日 被告病院整形外科で受診し、問診用紙に「二月中旬より左大腿部、しびれ、だるい、痛い。股関節の痛みに凝縮」「左腰→首(二、三日で治る)」「左上腕、しびれ、だるい、痛い。関節部が痛む」と記載した。

当時のカルテには、頸椎に多少の伸展制限があり、スパーリングテストの結果は右がマイナス、左がプラスマイナスで、レントゲン検査の結果軽度の変形性頸椎様の変化があることの記載がある。

キ 同年五月ころ 左腕の痺れと肩凝り、背中の凝りが出現し、継続するようになり、同月中旬ころには自宅にマッサージ師を呼んで三回前後マッサージを受けた。

ク 同年六月四日 芹沢医師の診察を受け、同月九日、「頸腕症候群」と診断され、本件診断書の作成を受けた。

控訴人は、同月一九日に早川課長に本件診断書を提出した。

(2) 本件配転後の控訴人の業務の内容は、次のとおりである。

ア 控訴人は、本件配転後、日常的に退院患者のカルテ(以下「退院カルテ」という。)の回収、製本等、新規入院患者用のカルテ(以下「入院カルテ」という。)の準備・送付等の肉体作業を中心とする業務に従事したところ、退院カルテの回収数は、同年四月が四四七冊(実施日数一六日、一日平均二七・九四冊)、同年五月が四六六冊(実施日数一三日。一日平均三五・八五冊)、同年六月が五四七冊(実施日数一五日。一日平均三六・四七冊)、同年七月が五二七冊(実施日数一七日。一日平均三一冊)であり(一日当たり最多は七九冊、最少は五冊)、その製本数は、おおむね右回収数と同様であり、入院カルテの準備・送付数は、同年四月が四六四冊(実施日数一七日。一日平均二七・二九冊)、同年五月が五二六冊(実施日数一九日。一日平均二七・六八冊)、同年六月が四三八冊(実施日数一八日。一日平均二四・三三冊)、同年七月が五〇六冊(実施日数二四日。一日平均二一・〇八冊)である(一日当たり最多は六三冊、最少は二冊)。また、控訴人は、平成元年五月一六日及び同年六月二日には、午前中一杯をかけて一人で一三八〇冊前後のカルテを移動する作業に従事した。

右の作業は、いずれも上肢に負担のかかるものであり、とりわけ大型ホチキスによる退院カルテの製本(病歴室に中型ホチキスが導入されたのは平成二年四月であり、それまでの期間、回収した退院カルテのほとんどを占める厚さ四ミリメートルを超えるカルテは、全て大型ホチキスで製本した。)及びカルテの移動は、過重な負担となった。

なお、本件配転当時、病歴室には従来から配置されていた派遣従業員が三名いたが、いずれも控訴人に対して反発的で非協力的であったし、控訴人は、業務に未経験であるにもかかわらず責任者とされたから、精神的ストレスも通常の程度を上回っていた。

イ 派遣従業員は、平成元年六月から七月上旬にかけて一名が病欠し(病欠明け後まもなくして外来受付に異動)、同月一九日から新たにB山某(女性。身体障害者。以下「B山」という。)が派遣されたものの、同年八月から一名減となり、同年九月から更に一名減となり、以後はB山のみとなった。

同年八月に病歴室に台車が導入され、以後、退院カルテの回収は台車を用いて行うようになったが、台車は空でも一一キログラムあり、これに回収した退院カルテやバインダーを載せると数十キログラムから一〇〇キログラムにもなった。退院カルテの回収数は、同年八月が六三三冊(実施日数一六日。一日平均三九・五六冊)、同年九月が四九四冊(実施日数一三日。一日平均三八冊)、同年一〇月が四一四冊(実施日数一五日。一日平均二七・六冊)、同年一一月が五八四冊(実施日数一六日。一日平均三六・五冊)、同年一二月が五二一冊(実施日数一五日。一日平均三四・七三冊)であった(一日当たり最多は一〇四冊、最小は二冊)ところ、B山は身体障害者であるため、カルテ回収作業は控訴人に負担が偏っていた。

退院カルテの製本数が右回収数に沿ったものであること、その大半が大型ホチキスによるものであることは、前述の七月までの時期と同様であり、入院カルテの準備及び送付数も七月までと基本的に変わらない。

なお、控訴人の時間外労働時間は、同年六月が六時間、同年七月が二一時間、同年八月が一八時間、同年九月が一九時間、同年一〇月が一四時間、同年一一月が八時間、同年一二月が一〇時間三〇分であった。

ウ 派遣従業員の減員により業務が滞留するようになったため、平成二年から病名コード等のチェック作業は外注されることとなり、控訴人の業務は未回収の退院カルテの回収と製本に集中することとなった(なお、同年一月二九日から同年四月八日まで一名の派遣従業員が追加配置されたが、休みがちで仕事も覚えられず、業務の軽減にはならなかった。)。

控訴人の時間外労働時間は、同年一月が八時間、同年二月が四時間三〇分、同年三月が二時間三〇分、同年五月が二時間三〇分、同年六月が五四分(なお、同年四月は零)であった。

(3) 本件配転後に控訴人に出現した本件症状は、痛み・凝りが項部、背部、腰部と拡大し、かつ、慢性化しており、職業性頸肩腕障害の特徴そのものを呈しており、既往症とは明白な相違がある。

控訴人は、本件診断書において「頸腕症候群」の診断を受けたものであるが、前記(1)の経過に照らせば、平成二年五月ころには本件症状が慢性化し難治化しており、職業性頸肩腕症候群が発症していたものとみるべきである。

そして、本件症状の増悪・慢性化と前記(2)の業務とは対応しており、本件症状の業務起因性は明らかである。

(二) 第二期(本件診断書の提出後(平成二年六月)から本件病休前(平成三年三月)まで)

(1) 控訴人は、平成二年六月一九日に芹沢医師作成の診断書を被控訴人に提出した後、電動ホチキスが導入され、大型ホチキスの作業はB山が行うこととされ、週一回の水中体操を始め、週二、三回の鍼灸治療を始めたことにより、同年秋ころまでは本件症状は小康状態を保ち、肩の痛みや脱力感、腕や手首の痺れ等はいくらか軽減されたが、抜本的な治癒には至らなかった。

(2) 控訴人は、同年一〇月ころからB山が休みがちとなり、負担が増したため本件症状が悪化し、肩や背中まで痛みを感じるようになったことから、そのころから週一回休んで水泳教室に通うようになり、また、カルテホルダーの紙折り作業を他部署でやってもらうこととなったため、同年一一月中旬には痺れを感じないようになったものの、背中や肩の痛み、凝り、脱力感は残ったところ、同年一二月から週二回程度休みをとるようになり、これらの症状も軽減され、年末年始の休みの直後は痺れもとれた。

しかし、平成三年の正月明け後、多量の業務を続ける中で本件症状は再び悪化し、右腕を触ると痛く、左肩の周りにだるさを感じ、腕が冷え、背中が痛く、肩の付け根の痺れがひどく、入院カルテの準備でも左手首が痛み、仕事が終わると左肩は棒のような状態であった。

このような中で、控訴人は、頻繁にマッサージを受け、同年二月上旬に二泊の温泉療養をし、同月一三日から一六日まで病休をとり、同年三月七日から同年四月一一日まで本件病休をとった。

(3) 右の経過によれば、控訴人は、平成二年六月に大型ホチキスの作業から解放されたものの、業務の抜本的転換が図られなかったために、本件症状が改善されず、平成三年二月ころからはB山が休みがちとなって控訴人の負担が増大したために、本件症状が再び悪化し、本件病休に至ったものであるから、業務起因性が肯定される。

(三) 第三期(本件病休後(平成三年四月)から本件出向前(平成七年一月)まで)

(1) 控訴人は、平成三年四月から同年六月一五日まで午前中のみの勤務をし、退院カルテの回収及び製本作業からも解放され、従前に比べて腕、肩への物理的負担は相当程度軽減されることとなった。

しかし、未整理のカルテや貸出先から返却されたカルテの整理及び棚への収納は、控訴人が行わざるを得ず、これらの作業は、腕や肩に負担の集中する作業であったため、肩や腕の疲労感を覚えるようになり、一時的に本件症状が悪化した。

そこで、控訴人は、同年六月四日、上司に病状を報告して派遣従業員を一名増員してもらい、その後本件症状が緩和したため、同月一七日から勤務時間を午後三時まで延長した。

(2) その後は、本件症状が一時的に悪化することがあったが、同年一〇月末ころには、首筋、肩、背中の圧迫感はマッサージで軽減し、疲労感も取れ、同年一一月一日から定時までの勤務を週一回行うようになり、以後定時までの勤務を順次増やしていった。

(3) 右の経過によれば、業務の軽減に伴って本件症状の緩和が見られたが、病歴室の業務から転換されることがなかったため、完治に至らなかったというべきである。

(四) 第四期(本件出向(平成七年二月)から現在まで)

(1) 財団法人鉄道弘済会東京身体障害者福祉センターは、義肢装具の製作から装着訓練まで行う会社であり、本件出向後の控訴人の仕事は、同社において、午前九時から午後五時三〇分まで(ただし、毎週火曜日及び木曜日は休業し、土曜日は午後一時三〇分までの勤務であった。)、受付窓口業務と代金請求であったが、事務量は膨大であり、残業も連日二、三時間はざらで、職場環境も悪かった。平成八年に入り、事務にパソコンが導入され、上肢への負担と精神的緊張が増大した。

そうした中で、控訴人は週一回半日欠勤して通院し、ハリ、マッサージ、体操、温熱療法をし、別に週一回夜スイミングスクールで水中体操をし、多量の業務に奮闘する同僚がいる中で控訴人一人定刻に帰って本件症状を悪化させないようにした。

本件出向後一年半ほどすると手の痛みは楽になったが、首がつらく、重く突っ張り、後首から背中にかけての凝りが常にあり、肩甲骨下の凝りはハリやマッサージでもとれず、疲れてくると頭を立てているのがつらくなり、いつのまにか手で支えていることもあった。

(2) 平成一〇年七月一五日から勤務先が右弘済会東京福祉所に変更になり、仕事は事務所でのデスクワークのほか、担当しているケースについて自宅訪問をするようになり、長時間歩き回り、腰痛を悪化させた。

しかし、通常は身体への負担はさほどきつくはなく、本件症状は緩和されてきた。

(3) 右の経過によれば、控訴人は、本件出向後は腕や肩に物理的負荷が集中する業務からは解放されたが、他の従業員が連日残業に負われる中一人定時に帰宅するという精神的負担のため、本件症状は完治するに至らなかった。

(4) 控訴人は、平成一〇年一一月に渋谷労働基準監督署長から後遺障害一二級の認定を受けたが、業務に起因する職業性頸肩腕障害の後遺障害にほかならない。

4  被控訴人の安全配慮義務違反

(一) 控訴人は、平成元年七月以降、上司に控訴人の時間外労働が増加しており増員が必要であることを度々訴え、「非常に体がつらい。」旨を話しており、平成二年三月二日には被告病院で診察を受け、同年四月一一日及び同年五月二二日の東京都地方労働委員会の審問期日において過重な業務の実態を述べている。

被控訴人は、使用者として控訴人の過重な業務負荷の実態を正しく把握し、その軽減に務めるべきであったにもかかわらず、右のとおり度重なる機会を与えられながら、何ら必要な対応をとらなかったのであるから、安全配慮義務に違反していることは明白である。

(二) 被控訴人は、平成二年六月以降、控訴人を大型ホチキスの作業から解放したものの、本件症状を改善するために必要な抜本的な業務の転換を行わず、また、B山との二人体制を続けて控訴人の作業負担を増大させ、本件症状を増悪させたものであるから、安全配慮義務に違反したことが明らかである。

(三) 平成三年四月の本件病休明け後も、控訴人を病歴室の業務から解放せず、本件症状を慢性化・長期化させたものであり、安全配慮義務に違反している。

(四) 本件出向後の業務も控訴人にとっては過重であり、控訴人のみが定時で帰宅することの精神的負担があり、これらのことを控訴人は被控訴人の上司に度々訴えてきたが、何らの改善がされなかったから、被控訴人が安全配慮義務に違反することは明らかである。

5  予備的主張

仮に本件症状が控訴人の既往症である変形性頸椎症によるものであるとしても、控訴人は、本件配転後の過重な業務によって右症状を悪化させたものであるから、本件症状には業務起因性があり、被控訴人には安全配慮義務違反がある。

第三当裁判所の判断

一  本件配転後の業務と控訴人に出現した症状の経過

1  第一期(本件配転から本件診断書の提出まで)について

(一) 業務内容

前示のとおり、控訴人は、昭和四七年から被告病院及びその前身の中央鉄道病院において視能訓練士として勤務し、もっぱら眼科の患者に対する視機能の検査及び視機能回復のための矯正訓練の仕事に従事してきたものであるが、本件配転により、平成元年四月一日から病歴室に勤務し、前記第二の一に引用した原判決の「事実及び理由」中「第二 事案の概要」二2(原判決五頁六行目から同八頁一行目まで)に記載の業務に従事するようになった。

右業務のうち中心的なものは、被告病院に入院して退院した患者のカルテの整理作業(退院カルテの回収・製本・収納作業、入院カルテの準備・送付作業)であり、その具体的状況は、《証拠省略》によれば、次のとおりであったと認められる。

なお、《証拠省略》によれば、病歴室における業務従事者の人数は、平成元年四月当時は控訴人を含め四名(うち派遣社員(株式会社日本医療事務センターから派遣される同社従業員。以下同じ。)三名)であったところ、同年六月ころから派遣社員一名が病欠し、他方、足に障害のあるB山が新たに派遣されたものの、その後派遣社員二名が辞め、同年九月ころからは控訴人とB山の二名となった(ただし、平成二年一月末から同年四月初めころまで派遣社員が一名追加配置された)ことが認められる。

(1) 退院カルテの回収作業

右作業は、一週間に三、四回程度、病棟の四階から一二階までのナースステーションに行って退院カルテを回収するもので、平成元年八月ころ病歴室に台車が導入されるまでは、退院カルテを両腕に抱えて一三階の病歴室まで持ち運ぶ方法により行われたが、台車導入後は、重量約一一キログラムの台車を引いて、一時間くらいかけてナースステーションから退院カルテを回収し運搬する方法により行われた。

回収した退院カルテは、製本のため、バインダーからはずして患者ごとに互い違いに重ねて置かれた。

(2) 退院カルテの製本

右作業は、回収した退院カルテを患者ごとに内容を整理してホチキスで製本するもので、カルテの厚さに応じて大中小のホチキス(ただし、中型ホチキスの導入は平成二年四月ころ)が使い分けられ、通常、カルテ一冊につきホチキスで三か所とめられたが、厚いものは二、三分冊に分けてとめられた上、合わせて大型ホチキスで合計六、七か所とめられた。

右カルテの製本作業は、当初は一日おきに行われたが、平成元年九月ころ病歴室の業務従事者が控訴人とB山の二人になった後は、ほぼ毎日行われるようになった。しかし、作業が追いつかず、未製本のカルテが次第に山積していった。

(3) カルテの収納・移動

カルテの収納作業は、製本された退院カルテを退院番号順にカルテ棚(六段で、最上段の高さは約一・九メートル)に収納するのであるが、被告病院においては、患者が再入院するごとに新しい番号を付すシステムであったため、カルテを収納する際、前のカルテがある患者については前のカルテを移動して一緒に収納された。

このため一患者についてカルテが五冊ないし一〇冊になることもあり、カルテ棚に入り切らなくなることから、二、三か月に一回程度ほとんどのカルテを移動するカルテ棚の整理が行われた。

(4) 入院カルテの準備・送付

右作業は、空のバインダーに入院患者用にセットされた一五ないし三〇枚の記録用紙を綴じ込み、ケースコンベアでナースステーションに送付するものである。

(二) 控訴人の症状の経過

《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 控訴人は、平成元年七月ころから肩に痛みを感ずるようになり、同年九月ころには、積み上げたカルテの中から目的のカルテを探し出した後に腕がだるいと感ずるようになり、そのころ、革製のショルダーバッグが重いと感じられて、布製の手提げに変えたりした。

しかし、控訴人は、同年一〇月ころ実施された定期健康診断において、産業医に対しては右のような症状を訴えなかった。また、そのころ、被控訴人や医師に対して右症状を訴えたこともなかった。

(2) 控訴人は、平成二年二月中旬ころから、左大腿部、太股、左上腕、左肩に痛みや痺れを感ずるようになり、そのころ、一時的に左腰や首にも痛みを感じたことがあった。

そして、控訴人は、同年三月二日に被告病院整形外科を受診し、問診用紙に「二月中旬より、左大腿部、しびれ、だるい、痛い。股関節の痛みに凝縮。左腰→首(二、三日で治る)。左上腕、しびれ、だるい、痛い。関節部が痛む。」などと記載して提出し、診察に当たった医師に対して、「左上肢が痛い、左下肢がだるい、太股が痛い。二月中旬から仕事をしていて左肩が重くなり、夜間痛みがある。」などと訴えた。しかし、その後、右訴えに係る症状について、被告病院その他の病院で治療等は受けなかった。

また、早川は、同年三月に医事課長に就任して控訴人の直属の上司となったが、後記の本件診断書を示して病状を訴えられるまで、控訴人からその症状についての訴えを受けたことはなかった。

なお、右被告病院での受診当時、控訴人の頸部の可動域制限はなく、伸展制限があったこと、スパーリングテストは右がマイナスで、左がプラスマイナスであったこと、握力は右が二五キログラム、左が二四キログラムであったこと、肩の屈曲、外転の可動域制限はなかったこと、レントゲン検査の結果軽度の変形性脊椎様の変化が存したことなどが認められた。

(3) 控訴人は、平成二年五月二二日、東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)平成元年不第六六号事件の第四回審問期日において、「今はほとんどカルテを運んできて製本するという作業で暮れてしまうから、体もかなりいかれてきて、肩が凝ったり、背中が痛かったり、今も左手が全部痺れているような状態」などと証言した。

(4) 控訴人は、平成二年六月四日、小豆沢病院の整形外科(担当芹沢医師)を受診し、左肩の痛み、左上腕から前腕にかけて及び手の痺れとだるさを訴え、同年一月ころから左肩の痛み、同年五月ころから痺れが出現しずっと続いている、約一年前に視能訓練士からカルテ整理業務に異動した旨を説明した。

芹沢医師は、カルテ整理業務を中心とする病歴室での業務が右症状に原因を与えていると判断し、頸腕症候群の診断をして本件診断書を作成し、その中で「現在のカルテ整理の仕事は避けるべき」旨を記載した。

(5) 控訴人は、同年六月一九日、早川課長に対し、本件診断書を提出し、「肩が痛い、手が痺れる、製本がつらい。」などと訴えた。

2  第二期(本件診断書の提出から本件病休前まで)について

(一) 業務内容

《証拠省略》によれば、平成二年六月二一日に電動ホチキスが、同月二五日に電動穿孔機が病歴室に導入され、厚さ一センチメートル未満の薄いカルテは電動ホチキスを用いて製本し、それ以上の厚いカルテの大型ホチキスによる製本はB山が行うこととされ、控訴人は大型ホチキスでの製本作業から解放されたこと、同年九月ころからは、早川課長ら他の職員が大型ホチキスによるカルテの製本作業を中心に応援するほか、派遣社員を交代で応援派遣するなどして、病歴室の業務を支援する対応がとられ、また、カルテホルダーの紙折り作業を他部署で行ってもらうようになったこと、平成二年一〇月ころから控訴人は週一日休んで水泳教室に通うようになり、同年一二月からは週二日程度休みをとるようになったこと(なお、同年一二月から平成三年二月まで三か月間の控訴人の一か月当たり出勤日数は一四日ないし一六日である。)を認めることができる。

(二) 控訴人の症状の経過

控訴人の主張及び《証拠省略》によれば、控訴人は、平成二年六月ころから週一回の水中体操、週二、三回の鍼灸治療を始め、同年秋ころまでは肩の痛みや脱力感、腕や手首の痺れ等が軽減したように感じたが、同年一〇月ころから肩や背中まで痛みを感じるようになったこと、そのころから週一日休んで水泳教室に通うようになり、同年一一月中旬には痺れを感じなくなったが、背中や肩の痛み、凝り、脱力感が残ったため、同年一二月から週二日程度休みをとるようになったこと、その後右症状が軽減したものの、平成三年正月休み明け後、右腕を触ると痛く、左肩の周りにだるさを感じ、腕が冷え、背中が痛く、肩の付け根の痺れがひどく、入院カルテの準備をすると左手首が痛むなどの症状を感ずるようになったこと、同年二月上旬二泊の温泉療養をし、同月一三日から一六日まで病休をとり、同年三月七日から同年四月一一日まで本件病休をとったことが認められる。

3  第三期(本件病休後から本件出向まで)について

(一) 業務内容

《証拠省略》によれば、控訴人は第三期においては退院カルテの回収及び製本作業から解放されたこと、また、平成三年四月から同年六月一五日までは午前中(午前八時一五分から午後〇時まで)のみの勤務をし、同月一七日から勤務時間を午後三時まで延長し、同年一一月一日から定時までの勤務を週一回行うようになったことを認めることができる。

なお、右証拠によれば、控訴人は、本件病休後職場復帰をするに当たり、被控訴人に対し、要望事項として「①勤務時間を午前中(午前八時一五分から一二時まで)に限ること。②作業内容を次のものに限定すること。(イ)退院番号をカルテの表紙に記載する作業、(ロ)日報整理(ただし、ナンバリングを押す作業を除く。)、(ハ)証票、物品の請求、(ニ)未回収カルテの請求、(ホ)カルテの貸出作業。③勤務時間中も一時間ごとに凝りをほぐすための体操をする休憩時間をとること。」と、不可能な作業として「力を要する作業、手指を頻繁に動かす単純反復作業です。具体的には次のとおりです。(イ)各病棟に台車でカルテを回収する作業、(ロ)カルテのバインダーの開閉、(ハ)カルテのバインダーからはずした用紙を順番にそろえるなどカルテ製本の事前作業、(ニ)手動ホチキスによる製本作業、(ホ)新規入院患者用の用紙セットを作る作業など」と記載した要望書(《証拠省略》)を提出したこと、その要望は、被控訴人から右③の点を除いてはほぼ受け入れられたこと、すなわち、作業内容についてはその要望に沿った内容の作業に従事すべき旨の指示を受け、また、勤務時間の制限については、半日勤務という勤務形態が制度上存在しないという問題があったものの、結局、有給休暇又は病気休暇を利用する方法によって右要望に沿った勤務をすることが受け入れられたことが認められる。

(二) 控訴人の主張及び控訴人の供述によれば、第三期においても、控訴人は肩や腕の疲労感を覚え、症状が悪化したことがあったが、平成三年一〇月末ころには首筋、肩、背中の圧迫感はマッサージで軽減し、疲労感も取れたと感じるようになったことが認められる。

4  第四期(本件出向から現在まで)について

(一) 業務内容

《証拠省略》によれば、控訴人が平成七年二月から出向した財団法人鉄道弘済会東京身体障害者福祉センターは、義肢装具の製作、装着訓練等を行う職場であり、控訴人は右センターにおいて受付窓口業務及び代金請求業務に従事したこと、右センターの勤務時間は午前九時から午後五時三〇分まで(ただし、毎週火曜日及び木曜日は休養し、土曜日は午後一時三〇分まで)であったところ、控訴人は定時に帰宅し、週一回通院のため半日欠勤したこと、平成八年右センターにパソコンが導入され、一時的に業務量が増加したことがあること、平成一〇年七月から右弘済会東京福祉所に勤務先が変わり、事務所でのデスクワークのほか担当のケースについて自宅訪問をするようになったことを認めることができる。

(二) 控訴人の主張及び控訴人の供述によれば、本件出向後一年半ほどすると手の痛みは楽になったものの、首がつらく、重く突っ張り、後首から背中にかけての凝りが常にあり、肩甲骨下の凝りはとれず、疲れてくると頭を立てているのがつらくなるほどの症状が残ったこと、右東京福祉所に勤務先が変わった後、一時腰痛を悪化させたほかは右症状はかなり緩和されたことが認められる。

二  本件配転後の業務と控訴人の症状との因果関係

1  前示のとおり、控訴人は、平成二年六月に芹沢医師に左肩の痛みと左上腕から前腕にかけて及び手の痺れとだるさを訴え、頸腕症候群の診断を受けたものであるところ、前記一1(一)認定の第一期における控訴人の業務は、上肢等(頸部、肩、上腕、前腕、手、指をいう。以下同じ。)に負担のかかる作業であることは否定することはできず、控訴人がそれまで約一七年間従事してきた視能訓練士の仕事が上肢等への負担という点から見れば軽易な作業であったことや、控訴人の本件配転当時の年齢(四九歳)、身長(約一五〇センチメートル)、体重(約四三キログラム)等を併せ考えると、控訴人にとっては、かなりの肉体的負担を感ずるものであったと認めることができる。

2  そこで、まず、第一期の控訴人の業務が上肢等に過度の負担をもたらす過重な業務に当たるものであったか否かについて検討を加える。

(一) 退院カルテの回収について

(1) 台車導入前

前示のとおり、平成元年八月に台車が導入されるまでは両腕に抱えて退院カルテを持ち運びしていたところ、右のような態様の作業が上肢等に相当の負担のかかるものであることは明らかである。しかしながら、控訴人の主張によっても、平成元年四月から同年七月までのカルテの回収数は、一日平均三〇冊から四〇冊(最多七九冊、最少五冊)、回収作業を実施したのは毎月一五日前後というのであり、前示のとおり、当時は控訴人のほかに二、三名の派遣社員がいたことを併せ考えると、控訴人の担当する退院カルテの回収作業が、控訴人の右年齢や体格等を考慮に入れて考えても、客観的、一般的見地から、過重な業務に当たるものであったと認めることはできない。

なお、控訴人は、控訴人の供述において、退院カルテは一冊一ないし二キログラムで、それを一〇ないし二〇冊持つと腕がだるくなった旨を供述するけれども、右に見たカルテの回収数、実施日数に照らせば、右供述を前提としても、右判断を左右するに足りない。

(2) 台車導入後

前示のとおり、平成元年八月以降は台車にカルテを載せて運搬するようになったところ右のような態様の作業は、それ自体として上肢等に過度の負担のかかるものとはいい難い。控訴人は、台車自体の重量が一一キログラムであり、回収したカルテやバインダーを載せると数十キログラムから一〇〇キログラムになったなどと主張する。しかし、台車自体の重量が一一キログラムであったことは、これを押して運搬するのにさほどの負荷となるものでないことが明らかである上、控訴人の主張によっても、平成元年八月から同年一二月までのカルテの回収数は、一日平均三〇冊から四〇冊(最多一〇四冊、最少二冊)というのであるから、台車に一〇〇キログラムものカルテを積むことがしばしばであったとは認められないし、また、控訴人は甲六六の陳述書において、カルテの回収量はナースステーションに集まっているカルテの数で決まる旨供述するが、カルテの量が特に膨大となる場合において、その運搬を二回に分けて行う裁量が控訴人に許されなかったものとは考えられないから、控訴人の主張、供述するところを考慮しても、台車による退院カルテの回収作業が上肢等に過度の負担がかかる作業に当たるものということは困難というべきである。

控訴人は、平成二年九月以降はB山と二人体制となった上、B山が身体障害者であったため、退院カルテの回収作業は控訴人に偏っていた旨主張するところ、仮に控訴人にある程度作業が偏っていたとしても、右判断を左右するに足りない。

(二) 退院カルテの製本について

控訴人は、回収した退院カルテのほとんどが小型ホチキスで製本することのできない厚さ四ミリメートル以上のもので、それを全て大型ホチキスで製本したところ、大型ホチキスの操作には一回当たり三五キログラムの力が必要であるため、上肢等に過重な負担となった旨を主張する。

しかしながら、大型ホチキスで製本する作業が上肢等に負担を与えるものであることは明らかであるが、カルテの厚さに関係なしに常に三五キログラムの力が必要であるということは経験則に照らして首肯し得ないところであり(なお、甲四の検査結果がいかなる条件で実験した結果であるのか、甲四自体によってもその他の証拠によっても明らかではない。)、カルテの厚さが四ミリメートルのものと二センチメートルを超えるものとでは必要な力が相当に違うことが明らかというべきであるところ、《証拠省略》によれば、平成元年の一年間に製本されたカルテのうち厚さが二センチメートルを超えるものは二八七冊であり、一日当たりにすると一、二冊に過ぎないと認められる上、平成元年八月までは派遣従業員が二、三名おり、同年九月以降もB山がいて作業を分担していたことを総合考慮すれば、カルテの製本作業が、控訴人の年齢、体格等を考慮に入れても、客観的、一般的見地から、上肢等に過度の負担となる過重な業務に当たるものと認めることは困難というべきである。

なお、右台車導入後における控訴人の業務の全体の中で、日常的に上肢等に最も負担を与える業務は、この退院カルテの製本作業であったと認められる。

(三) カルテの移動について

控訴人は、平成元年五月一六日及び同年六月二日に一人で一三八〇冊ものカルテを移動する作業をした旨主張するところ、当日の作業量に限って見ればその作業が上肢等に相当の負担となるものであることに疑問はないけれども、右二日の作業のみをもって控訴人の業務の過重性を判断することはできないものというべきであり、右のような大量のカルテの移動作業は、前示のとおり二、三か月前に一回されるものに過ぎないから、これをもって過重な業務に当たるということはできない。

(四) 入院カルテの準備・送付について

控訴人は、甲六六の陳述書において、右作業につき、「空バインダーに入院患者用にセットした一五ないし三〇枚の記録用紙を入れる作業で、週に二、三回、月に八ないし一二回行い、週に二五〇冊くらいを作る。できあがったバインダーは一冊三〇〇グラムくらいの重さで、隣室のケースセレクトコンベアーに載せて各ナースステーションに送付する。ケースは空でも三キログラムあり、バインダーを載せるとかなりの重さになる。一日に一〇ないし一五回程度は送付作業をする。」旨を供述している。

しかしながら、控訴人の主張によっても、一か月に送付する入院カルテは五〇〇冊前後(一日平均二五冊前後)であるから、右供述における入院カルテの準備・送付数はかなり誇張されたものと考えられる上、右供述における入院カルテ一冊の重さや送付作業の内容を前提としても、これを上肢等に過度の負担となる過重な業務に当たるものということはできない。

(五) その他の業務について

本件配転後の控訴人の業務のうち、入退院日報台帳作成、退院カルテの日報台帳との照合、氏名索引カードの作成、カルテの複写・保管、未回収カルテの督促、診療録委員会への出席については、こらが上肢等に負担を与える作業と認めることはできないし、カルテの貸出・返却、ファイリングについては、これらが上肢等に過度の負担となる過重な業務であったものと認めるべき証拠は存しない。

3(一)  右2に検討したところによれば、第一期の業務内容について、控訴人の年齢、体格等を考慮しても、それが、客観的、一般的見地から、上肢等に過度の負担を与える過重な業務に当たるものと認めることは困難というべきである。

(二) しかしながら、前記一1(一)認定の業務の内容(それが上肢等に負担のかかるものであること)と同(二)認定の控訴人の症状の部位及び経過に照らすと、外形的に見て、前者と後者との間に対応関係を認めることができること、控訴人につき第一期において右のような症状を引き起こすべき外的又は身体的要因を他に見出すことができないこと(なお、控訴人の既往症との関係については後述する。)及び前記1のとおり、第一期の業務は、控訴人にとって従前の業務との対比において相対的、主観的にはかなりの肉体的負担を感じさせるものであったこと、控訴人は、専門的な職種である視能訓練士の業務から病歴室におけるカルテ整理業務に意に反して配転させられたことに強い精神的ストレスを感じていたものと窺われること(例えば、控訴人の陳述書の「みせしめとして、不当に配転され」「この仕事を奪いとられてしまい、専門職とは全く違う仕事をさせられ」「この職場にいる限り…病状の回復は難しいです」などの表現は、カルテ整理業務に就かされたことへの強い不満、ストレスを表したものと認められ、また、その配転命令が不当労働行為に当たるとして申し立てられた前記救済申立事件が係属中であった。)等の事情に照らして考えると、第一期の業務の有する上肢等への負担(物理的要因。客観的、一般的見地からは過重な負担に当たらないとしても、控訴人のそれまでの業務との対比においては相当に重いものである。)と、右のような精神的ストレス及び主観的負担感(心理的・精神的要因)とが総合作用して、前示の症状を生じさせたものと推認するのが相当というべきである(なお、芹沢医師は、本件診断書に「現在のカルテ整理の仕事は避けるべき」と記載したことに関連して、その証人尋問において、「視能訓練士という特殊な職種からカルテ整理という一般的な仕事に異動させられたのは、非常にストレスが大きかったであろうと考えられ、このストレスも頸肩腕症候群には関連をしている。したがって、病気の原因が仕事にあるから、この仕事から離れなければいけないという診断書を書いた。」旨を供述しており、右推認を裏付けているということができる。)。

(三) もっとも、《証拠省略》によれば、①控訴人は、昭和六一年一二月一日から同月二六日まで、昭和六三年一〇月一二日から同年一一月二四日までの二回にわたり、頸部痛を訴えて被告病院整形外科を受診しており、頸部脊椎症、頸椎椎間板変性症、項頸部痛の診断を受けたこと(これらの診断名は、いずれも変形性頸椎症と同じものと考えることのできるものであること)、②控訴人は、昭和六一年一二月以前から肩凝りに悩まされていたこと、③控訴人が平成二年三月二日に被告病院整形外科を受診した際、医師の所見で、頸椎に軽度の伸展制限が認められ、スパーリングテスト(椎間孔部圧迫試験)は右がマイナス、左がプラスマイナスで、軽度の神経根刺激症状が認められ、X線所見で、軽度の頸椎症様変化が認められたこと、④昭和六一年一二月一日、昭和六三年一〇月二一日及び平成二年三月二日に撮影された各X線写真にC4/5、C5/6の椎間板腔の狭小が存することなどの事実が認められる。そして、被控訴人は、これらの事実に照らして、控訴人に生じた症状は変形性脊椎症によるものである旨主張する。しかしながら、前示の第一期に控訴人に生じた痛み、痺れ等の症状は、本件配転前の既往のものに比べて継続的であり、かつ、左上肢から左下肢にまで及ぶ広範囲のものであることにかんがみると、右症状と変形性脊椎症との関連を否定することはできないにしても、右症状のすべてが変形性脊椎症のみに基づくものであると判断することも困難といわなければならない。むしろ、控訴人が変形性脊椎症の既往症を有していたこと(身体的要因)をも加え、前示の本件配転後の控訴人の業務による上肢等への負担(物理的要因)並びに右業務から控訴人が受けた主観的負担感及び右業務に従事させられたことによる精神的ストレス(心理的・精神的要因)が総合作用した結果として、前示の症状を生じさせたものと見るのが相当というべきである。

(四) さらに、第二期以降の業務内容と症状との関連について見るのに、前示のとおり、控訴人は、第二期において、前示台車が配置された後の第一期の業務のうち上肢等への負担が最も重いものと認められる大型ホチキスによる製本作業から解放され、従前小型ホチキスにより行っていた作業も電動ホチキスによって行うこととなり、これにより上肢等への負担は相当程度軽減されたものと認められるのにかかわらず、かえって症状が悪化し本件病欠にまで至ったのであり、また、第三期においては、カルテの回収作業及び製本作業から完全に解放されて上肢等への負担となる作業の大部分から離れ(しかも、勤務時間も大幅に短縮された。)、第四期においては、およそ上肢等への負担が問題となるような業務から離れたものと認められるにもかかわらず、症状が解消せず、平成一〇年一一月に後遺障害認定を受けたのであるところ、右のような経過は、一般に、上肢障害は、業務から離れ、あるいは業務から離れないまでも適切な作業の指導・改善等を行い就業すれば、症状は軽快するものとされ、また、適切な療養を行うことによっておおむね三か月程度で症状が軽快すると考えられ、手術が施行された場合でも一般的におおむね六か月程度の療養が行われれば治癒するものと考えられていること、(《証拠省略》の労働省の通達参照)と矛盾しており、本件症状をもって職業性頸肩腕障害によるものであると認め、あるいは本件配転後の業務と因果関係を有するものであると認めることに疑いを入れさせるものということができる。しかしながら、前述のとおり、控訴人に生じた症状は、上肢等への負担という物理的要因のみが原因となって生じたものではなく、主観的負担感及び精神的なストレスという心理的・精神的要因とが総合作用して生じたものと考えるべきものであることに照らすと、物理的な面から見て業務の内容が改善されたとしても、心理的・精神的な面では業務の内容が改善されなかったのであるから、右のように第二期において症状が増悪し、第三期及び第四期においても解消するに至らなかったことは、必ずしも、控訴人に現れた症状と業務との事実的因果関係を否定すべき事由に当たるものということはできない(なお、芹沢医師は、その証人尋問において、「職場へスペシャリストとして戻りたいという希望を持ちながら療養をしている者が、ホチキス作業から解放されたからということで、症状がよくなるということは考えられない。」旨供述しており、右判断を裏付けているということができる。)。

4  以上を総合すれば、第一期に控訴人に生じた症状は、第一期の業務による上肢等への負担(物理的要因)がその原因の一つとなり、これに控訴人の受けた主観的負担感及び右業務に不本意に従事させられたことによる精神的ストレス(心理的・精神的要因)並びに既往症である変形性脊椎症(身体的要因)が複合して生じたものと認めるのが相当であり、第二期以降の症状も、右物理的要因からは大幅に又は完全に解放されたものの、なお右心理的・精神的要因からは解放されなかったことから、一時的に増悪し、又は継続したものと認めるのが相当であり、そして、右の各要因の中で、第一期の業務による右物理的要因は、これらの症状を発症させた主要な原因の一つであることを否定することができないものというべきである。

したがって、本件配転後の第一期の業務と控訴人に生じた症状との間の相当因果関係は、これを肯定することができるものということができる。

5  もっとも、右に述べたように、第二期の業務においては、控訴人は上肢等への負担が最も重かったと認められる大型ホチキスの作業から解放されたのであり、これにより右物理的要因は大きく減少したものと認めるべきことにかんがみれば、その業務が控訴人の症状に対して全く関係がないものということはできないにしても、第二期における症状の増悪又は継続の主要な原因は、右心理的・精神的要因及び身体的要因にあるものとみるべきものであって、第二期の業務がその症状の増悪又は継続の主要な原因を成したものと認めることはできないものというべきであり、そして、以上判示したところに照らし、第三期以降の業務と控訴人の症状の継続との関係についても、同様というべきである。

したがって、第二期以降の業務の内容は、控訴人の症状の推移との間に相当因果関係があるものということはできないというべきである。

三  被控訴人の安全配慮義務違反の有無

1  第一期について

右のとおり、控訴人に生じた症状は、第一期の業務との間に相当因果関係を肯定すべきものであるところ、その症状の発症につき被控訴人に雇用契約上要請される安全配慮義務の違反があったと認められるかどうかについて検討する。

前示のとおり、控訴人が第一期において従事した業務は、これを事後的、結果的に見れば、控訴人にとって相対的、主観的に上肢等に重い負担のかかるものであったということができるが、客観的、一般的見地から過重な業務に当たるということのできないものであるから、被控訴人が控訴人をして右業務に従事させたこと自体をもって安全配慮義務を欠いたものということはできない。また、前示のとおり、控訴人は、平成元年七月ころから症状が出始めたと認識したものの、同年一〇月に実施された健康診断ではその症状を訴えず、被控訴人や他の医師に右症状について具体的な訴えをしたこともなかったこと(控訴人は、前記第二の二4(一)において、控訴人が平成元年七月以降上司に「非常に体がつらい。」旨を話していると主張するが、控訴人が被控訴人に対して具体的に症状を訴えたことを認めるに足りる証拠はない。)、平成二年三月二日に被告病院整形外科で受診したけれども、変形性脊椎症の既往歴があったことや通院が一日だけで終わったこと(なお、この点について、控訴人は、その本人尋問において、「様子を見ましょうということでそれっきりになった。」旨供述している。)に照らし、右整形外科担当医において右受診当時の控訴人の症状が業務との関連性を有するものであるとの診断に至ることは困難であったと考えられること、控訴人は同年五月二二日の都労委の審問期日において「今はほとんどカルテを運んできて製本するという作業で暮れてしまうから、体もかなりいかれてきて、肩が凝ったり、背中が痛かったり、今も左手が全部痺れているような状態」などと証言したけれども、右証言は、本件配転の不当性を訴える趣旨で付随的に述べたものに過ぎず、業務が過重なものであること自体を訴える趣旨のものとはいい難いものであり、かつ、その証言内容も明確なものではないこと(例えば、肩凝りや背中の痛みがいつ存したのか、証言時にも存するのか、左手の痺れがいつ生じたのか、腕全体に痺れがあるのかなどの点が不明瞭というほかない。)などに照らすと、第一期中に、被控訴人において、控訴人が業務に起因して上肢等の痛み、痺れ等の症状を呈していたことを認識し得る機会を有していたものと認めることはできない。

そして、前示のとおり、控訴人の症状が業務による上肢等への負担(物理的要因)のほか、主観的負担感及び精神的ストレス(心理的・精神的要因)並びに変形性脊椎症(身体的要因)が複合作用して発症したものと見るべきものであることにかんがみると、被控訴人においてこれを予見することが可能であったということはできないものというほかない。

したがって、平成二年六月一九日に控訴人から本件診断書を示されてその症状について訴えを受けるまでの間において、被控訴人に安全配慮義務において欠けるところがあったものとすることはできない。

2  第二期以降について

前示のとおり、第二期以降の業務と控訴人の症状との間に相当因果関係を肯定することはできないけれども、なお、控訴人の右以降の症状の増悪又は継続につき、被控訴人に安全配慮義務に欠けるところがあったかどうかについて検討する必要がある。

しかしながら、前示(前記一2(一))のとおり、被控訴人は、控訴人から、「カルテ整理の仕事は避けるべき」旨の記載のある本件診断書を示され、その症状とともに「製本がつらい」旨の訴えを受けたところ、その後直ちに電動ホチキスを導入するなどして、それまでの業務のうち上肢等への負担が最も重いものと認められ、かつ、控訴人からその旨の指摘のあった大型ホチキスによる製本作業から控訴人を解放したほか、平成二年九月ころからは、早川課長らがカルテの製本作業を中心に応援をし、派遣社員の応援派遣を実施するなどの病歴室業務の支援をするなど、相応の配慮措置を講じ、これに伴い、控訴人は週一日ないし二日の休みをとることができるようになったことが認められるのであり、これによれば、第二期において、被控訴人に安全配慮義務に欠けるところがあったと認めることはできないというべきである。また、第三期においては、前示(前記一3(一))のとおり、控訴人から乙五の要望書の提出を受けた後、病歴室における作業についてほぼその要望どおりの作業に従事させることとして、控訴人を退院カルテの回収及び製本作業から完全に解放した上、勤務時間等についてもその要望に応じた配慮をしたことなどに照らし、被控訴人に安全配慮義務に欠けるところがあったと認めることはできない。

なお、控訴人は、被控訴人が控訴人の要望にもかかわらず病歴室の業務から解放しなかったことの不当を主張するところ、芹沢医師は、その証人尋問において、控訴人の症状は精神的なストレスの影響が大きいから、その回復のためには病歴室の仕事から離れ、その本意に叶う業務に復することが必要であるとの趣旨を述べる。しかしながら、本件配転についてこれを不当労働行為であるとする救済の申立てがされたのに対し、被申立人である被控訴人はこれを争っているところ、本件において、本件配転が不当労働行為に当たるなど違法、不当なものであると認めるに足りる証拠はないこと、控訴人としては、被控訴人の従業員として、長期の病気休暇をとるなどしない限り、何らかの労務に服さざるを得ないところ、控訴人の右主張及び芹沢医師の証言によれば、控訴人をもとの視能訓練士の業務以外の他の職場に配転したとしても、問題の解決にはならない理であることに照らせば、被控訴人が控訴人を病歴室以外の職場に配転せず、病歴室の勤務について配慮を加えるのにとどまったことをもって、安全配慮義務の違反があるものとすることはできない。

さらに、第四期においては、控訴人は、本件出向に伴い、控訴人が本件において上肢等に過度の負担を負わせるものと主張する病歴室の業務から完全に離れたのであり、かつ、本件出向後の業務が上肢等に特段の負担を与えるものとは認められないところ、本件において出向中の労働者である控訴人に対する安全配慮義務を出向元の使用者である被控訴人が負うものとの前提に立ってみても、この間の控訴人の業務について被控訴人に安全配慮義務に違反するところがあったものと認めることはできない(控訴人の供述によってもこれを認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。)というべきである。

3  以上のとおりであるから、控訴人に生じたその主張に係る症状の発症、増悪又は継続について、被控訴人に安全配慮義務違反があったと認めることはできない。

四  以上によれば、控訴人の被控訴人に対する債務不履行に基づく本件損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当である。

よって、本件控訴は、理由がないから棄却することとして、本文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 濱崎恭生 裁判官 土居葉子 松並重雄)

<以下省略>

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